橘玲さん「エピジェネティクスは遺伝学の常識をどう変えたのか」
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作家の橘玲さんがご自身のブログで「エピジェネティクスは遺伝学の常識をどう変えたのか」というタイトルで執筆された内容が素晴らしかったので、これを要約させていただきました。
エピジェネティクスとは、DNAの配列そのものは変わらないのに、遺伝子の働き方が後天的に変化すること、そしてその変化が子孫に受け継がれることもある現象を指します。
一卵性双生児の「なぜ違う?」を説明するエピジェネティクス
一卵性双生児はDNAが全く同じなので、本来は同じように成長し、同じ病気にかかり、同じような体質になるはずだと考えられてきました。しかし、実際には身長が同じでも体重に大きな差が出たり、片方だけががんになったり、精神疾患を発症したりすることがあります。
これは、従来の「遺伝か環境か」という考え方だけでは説明が難しかった部分です。環境要因の中でも、双子それぞれが経験する「非共有環境」(例えば、たまたま出会った栄養士の影響など)が違いを生み出すと考えられてきましたが、それだけでは納得できないケースもありました。例えば、片方がグルテン不耐性なら、もう片方も同じはず、という疑問が残るのです。
ここでエピジェネティクスがその謎を解き明かします。たとえDNAが同じでも、生まれてからの生活習慣、食生活、ストレスなどの環境要因によって、遺伝子のスイッチがオンになったりオフになったりすることがあるのです。これが「後天的な遺伝情報の変化」であり、その結果、一卵性双生児でも体重や体質、病気のリスクに違いが生じると考えられています。
ダーウィンもラマルクも…歴史的な視点とエピジェネティクス
かつて、ダーウィンの進化論では遺伝子が変化して子孫に受け継がれるという「かたい遺伝」が主流でした。しかし、ダーウィンに先行してラマルクが提唱した「獲得形質の遺伝」(例えば、キリンが首を伸ばした結果、その長い首が子孫に遺伝するという考え)は、長く否定されてきました。
しかし、エピジェネティクスの発見によって、ラマルクの直観の一部が再評価されるようになりました。植物の例では、花びらの数がDNAは同じなのに変わったり、寒さの経験が次の世代に受け継がれたりすることがわかっています。これは、遺伝子そのものではなく、遺伝子の働き方が変わる(メチル化など)ことで、その変化が子孫に伝わる現象であり、まさに「柔らかな遺伝」ともいえるものです。
また、ソ連のルイセンコも「環境によって生物は変わる」と主張し、一時的に絶大な権力を握りましたが、彼の理論はデタラメとされ、多くの被害者を生みました。しかし、彼が主張した「春化処理」(種を低温にさらすことで収穫量を増やすとされる)は、現代のエピジェネティクス研究によって、植物が獲得した形質を遺伝させるメカニズムの一つとして説明される可能性があるという驚くべき指摘もされています。
ヒトにおけるエピジェネティクス:オランダの飢饉の例
エピジェネティクスがヒトにも影響を与えることを示す有名な例が、第二次世界大戦中のオランダ飢饉です。飢餓状態にあった母親から生まれた子どもたちは、成人後に肥満、高血圧、糖尿病、精神疾患などのリスクが高まることが分かりました。
これは、母親の胎内で飢餓という極度の環境ストレスを受けたことで、子どもの遺伝子の働き方が変化し、その変化が成人後の健康に影響を与えたと考えられています。さらに驚くべきことに、この影響は子どもだけでなく、孫の世代にも及ぶ可能性が指摘されています。
エピジェネティクスが示す「細胞中心主義」
エピジェネティクスは、「遺伝情報はDNAからタンパク質が作られる」という従来の遺伝学の常識(セントラルドグマ)に、新たな視点をもたらしました。
これまでの遺伝学では、遺伝子(DNA)が生物の設計図であり、すべてをコントロールしていると考えられてきました。しかし、エピジェネティクスでは、遺伝子はあくまで「タンパク質を作るための鋳型」であり、どの遺伝子を使い、どのように働かせるかを決めているのは、実は「細胞」そのものだと考えられるようになっています。
つまり、エピジェネティクスは、遺伝子中心の考え方から、細胞が遺伝子の活動をコントロールしているという「細胞中心主義」へのパラダイムシフトを提唱しているのです。これは、私たちの体の仕組み、そして病気の原因や治療法を理解する上で、非常に重要な視点を提供しています。
エピジェネティクスは、私たちが何を食べ、どんな生活をし、どんなストレスを経験するかが、単に現在の健康に影響するだけでなく、将来の世代にもその影響が及ぶ可能性があることを示唆しており、非常に奥深い分野です。 私たちの体は、遺伝子の設計図(DNA)に基づいて作られます。一卵性双生児はまったく同じDNAを持っているので、見た目も体質もそっくりです。しかし、実は同じDNAを持っていても、成長するにつれて違いが出てくることがあります。この「遺伝子のスイッチのオン/オフ」を決める仕組みがエピジェネティクスです。
エピジェネティクスって何?
エピジェネティクスは、DNAの配列自体は変わらないのに、遺伝子の働き方が後天的に変化する現象のことです。例えるなら、遺伝子という「本」の文字(DNA配列)は同じでも、特定のページに「付箋」を貼ったり、ページを「開いたり閉じたり」することで、その情報が読まれたり読まれなかったりするようなものです。この付箋や開閉が、DNAの「メチル化」や「ヒストン修飾」といった化学的な変化にあたります。
一卵性双生児に違いが出るのはなぜ?
一卵性双生児は同じDNAを持つため、本来なら同じ体質になるはずです。しかし、ドロシーとキャロルのように体重差が大きく開いたり、片方だけが病気になったりすることがあります。これは、遺伝子以外の「環境」が影響していると考えられます。
- 非共有環境: 例えば、キャロルがたまたま特定の栄養士の指導を受け、食生活を変えたことで、彼女の体の中で遺伝子の働き方が変化した可能性があります。同じDNAを持っていても、環境(食事、生活習慣、ストレスなど)によって、それぞれの遺伝子に「付箋」が貼られたり外れたりすることで、その遺伝子がオンになったりオフになったりするのです。その結果、体質や病気のリスクに違いが出てくるわけです。
「獲得形質」は遺伝する?
昔は、親が努力して身につけた形質(獲得形質)は子孫に伝わらないと考えられていました。しかし、エピジェネティクスの研究が進むにつれて、一部の獲得形質が遺伝する可能性が示唆されています。
- 植物の例: たとえば、ある種類の植物は、遺伝子の働き方を変える「メチル化」という変化によって花弁の数が決まります。この変化は、次の世代の種子にも受け継がれることがわかっています。
- 飢餓と子孫: 第二次世界大戦中のオランダ飢饉では、妊娠中に飢餓を経験した母親から生まれた子どもたちが、肥満や特定の病気にかかりやすくなる傾向が見られました。これは、飢餓という環境が、胎児の遺伝子の働き方(エピジェネティックな変化)に影響を与え、その影響が大人になってから現れることを示しています。さらに、その影響が孫の世代にも及ぶ可能性も指摘されています。
遺伝子の「監督役」は細胞?
これまでの遺伝学では、DNAが生物のすべての設計図であり、すべてをコントロールする「監督」だと考えられていました。しかしエピジェネティクスは、むしろ細胞が遺伝子の働き方をコントロールしているという新しい見方を示しています。つまり、遺伝子は「タンパク質を作るための設計図」ではありますが、その設計図のどこを読み取るか、どのタイミングで読み取るかを決めるのは、細胞自身だということです。
エピジェネティクスは、私たちの体が遺伝子だけでなく、環境によっても変化し、その変化が次の世代に影響を与える可能性があることを教えてくれます。この発見は、遺伝子と環境の関係、そして生物の進化の理解を大きく変えつつあります。