Director's blog
院長日記

アレルギー細胞が脳を守っていた!?

武本 重毅

― 新発見「肥満細胞(マスト細胞)」の意外な働き ―

皆さんは「肥満細胞(ひまんさいぼう)」という名前を聞いたことがありますか?
実は「肥っている」わけではなく、細胞の中にたくさんの“顆粒(かりゅう)”をため込んでいることから、英語の “mast cell” を昔の日本語訳でそう呼んでいるだけです。

この細胞は、アレルギー反応の“現場指揮官”として知られています。
花粉症でくしゃみが止まらないとき、皮膚がかゆくなるとき――
その背後で、肥満細胞がヒスタミンという化学物質を放出し、血管を広げたり、神経を刺激したりしているのです。

しかし、2025年10月に医学誌 Cell に掲載された研究が、この「アレルギー細胞」にまったく新しい顔を見せました。
なんと、肥満細胞は――

「脳を守る免疫の門番」であり、「脳の水(脳脊髄液)」の流れまでコントロールしている

というのです。

 

脳のまわりには“見えない交通網”がある

私たちの脳は、硬い頭蓋骨の中で、「脳脊髄液(CSF)」という透明な液体に浮かんでいます。
この液体は、脳の老廃物を洗い流す“掃除屋”のような役割を果たし、
同時に、脳を衝撃から守るクッションにもなっています。

近年の研究で、このCSFがリンパ系とつながっていること、
そして「脳は免疫から完全に隔離された臓器ではない」ということが明らかになってきました。
つまり、脳と免疫のあいだには「境界(インターフェース)」が存在しているのです。

今回の研究で注目されたのは、この境界のひとつ――
「ACEポイント(Arachnoid Cuff Exit)」と呼ばれる場所。
ここは、脳の静脈が硬膜を通り抜けて外に出ていく“出口”で、
脳と外界をつなぐ、いわば
「脳の排水口」のような構造です。

 

肥満細胞は「脳の門番」だった!

アメリカ・ワシントン大学の研究チームは、マウスやヒトの硬膜を詳しく観察しました。
すると、驚くことにこのACEポイントのまわりには、大量の肥満細胞が集まっていたのです。

さらに、細胞を刺激して「脱顆粒(だつかりゅう)」=ヒスタミンを放出させると、
橋静脈(脳から出ていく太い血管)が広がり、
その結果、CSFの流れが一時的に減速することが分かりました。

これは単なる副作用ではなく、脳を守るための仕組みでした。
細菌やウイルスが血流から硬膜に侵入してきたとき、
肥満細胞が素早く反応して「通路を一時的に狭める」のです。

この反応によって、
脳へ病原体が入り込む経路がふさがれ、
同時に、肥満細胞が放出する化学物質によって好中球(感染防御の先鋒)が呼び寄せられ、感染を封じ込める。

つまり肥満細胞は、アレルギーを起こす“トラブルメーカー”どころか、
「脳を感染から守る門番」でもあったのです。

 

肥満細胞の“善玉”と“悪玉”の二面性

ただし、この仕組みは「諸刃の剣」。
短時間の防御反応なら脳を守りますが、
慢性的に肥満細胞が活性化し続けると、逆に脳の循環を妨げることになります。

たとえば――

  • 片頭痛の発作時には、肥満細胞がヒスタミンを放出して血管を広げることが知られています。
    → 今回の研究から、CSFの流れの乱れも片頭痛の一因である可能性が浮かび上がりました。
  • また、アルツハイマー病などでは、脳の老廃物(アミロイドβなど)の排泄が滞ることが問題になります。
    → 肥満細胞の過剰反応が、この排泄ルートを塞いでしまう可能性があるのです。

つまり、肥満細胞は「守りの司令官」であると同時に、
暴走すれば「慢性炎症のトリガー」にもなる――
そんな“二面性”を持つ存在だといえます。

 

日常生活と肥満細胞のバランス

では、私たちができることはあるのでしょうか?
実は、肥満細胞の過剰な活性化はストレス・睡眠不足・慢性炎症などでも起こります。
つまり、生活習慣の見直しが、脳を守る免疫バランスの第一歩なのです。

  • 睡眠を整える:睡眠中にCSFの流れが活発になり、脳の老廃物が排出されます。
  • 抗酸化・抗炎症の食事:ポリフェノールやオメガ3脂肪酸を含む食品は肥満細胞の暴走を抑えます。
  • 軽い運動・深呼吸:自律神経を整え、ヒスタミン放出を安定化させます。
  • 水分をこまめに摂る:CSFの循環やリンパ流を保つ基本です。

これらはどれも、「ミトコンドリアを元気に保つ」生活習慣とも重なります。
肥満細胞とミトコンドリア――
一見まったく別のもののようですが、実はどちらも私たちの“エネルギーと免疫の調整役”なのです。

 

医学の最前線からのメッセージ

この研究は、長年「脳は免疫から隔てられた特別な臓器」と考えられてきた常識を覆すものでした。
今や脳は、硬膜という境界で絶えず免疫細胞と会話していることが分かってきました。

その最前線に立つのが、あのアレルギー細胞――肥満細胞
「くしゃみの犯人」だと思われていた細胞が、実は脳の番人でもあったのです。

医学は、常に常識を更新していきます。
そして、この新発見は、片頭痛や認知症、さらには感染症の治療にも
新たな道を開く可能性を秘めています。

 

アレルギー細胞を“悪者”と思わず、うまく付き合うことが、脳と身体の健康を守る鍵。
それが、現代の免疫医学が教えてくれる新しい真実です。

 

参考文献
Mamuladze T, et al. Mast cells regulate the brain-dura interface and CSF dynamics.
Cell. 2025;188(20):5487–5498.e16.
(オープンアクセス/Washington University School of Medicine)

Author:

武本 重毅

聚楽内科クリニックの院長、医学博士。