がんは “ミトコンドリアを使って” 進化していた
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がん研究の世界ではいま、“ミトコンドリア”が大注目されています。
ミトコンドリアは、細胞のエネルギー工場。
しかし、最新の研究はそれだけでは終わりません。
- がん細胞はミトコンドリアを他の細胞に送り込んだり取り込んだりする
- その結果、がんが成長し、免疫細胞の働きが弱くなる
- がんは「生き延びるための戦略」として、ミトコンドリアを巧みに操っている
こうした衝撃的なメカニズムを明らかにしたのが、冨樫庸介(Yosuke Togashi)博士らの連続した研究です。
ここでは2つの主要論文をもとに、一般の方にもわかりやすく解説します。
- がん細胞は“ミトコンドリアを他の細胞に渡している”
——がんの帝国的戦略(Mol Oncol, 2025)
従来の研究では、
「がん細胞が他の細胞からミトコンドリアを奪って元気になる」
ことが注目されていました。
しかし冨樫博士らは、真逆の現象を発見しました。
◆ がん細胞 → 他の細胞へミトコンドリアを“与えていた”
がん細胞は“トンネル状のナノチューブ(TNT)”を伸ばして、
周囲の細胞へミトコンドリアを送り込んでいました。
送り先は主に2種類:
- 線維芽細胞(fibroblasts)
→ がんに協力する “CAF” に変化する - T細胞(免疫細胞)
→ ミトコンドリアが“乗っ取られ”免疫力が落ちる
どちらもがんにとって都合のよい現象です。
◆ ミトコンドリアを受け取った線維芽細胞は“がんの味方”に変身する
線維芽細胞は、ミトコンドリアを受け取ることで次のように変化しました:
- エネルギー代謝が酸化的リン酸化(OXPHOS)型に切り替わる
- 炎症性サイトカイン(IL-6など)を放出
- がんの増殖・浸潤・血管新生を促進
つまり 「ミトコンドリアの贈与」で、周囲の細胞をがん化学に染めていく
という仕組みです。
研究チームはこれを『帝国的戦略(imperial strategy)』と表現しました。
- がんは免疫細胞に“ミトコンドリアを送り込み、機能を奪う”
——Nature に掲載された世界的成果(2025)
最もインパクトが大きい発見がこちらです。
がん細胞は、自分のミトコンドリア(しかもDNA異常を持つもの)を、T細胞へ送り込むことが確認されました。
◆ なぜそんなことをするのか?
→ T細胞のエネルギーを奪い、戦力を無力化するため
T細胞ががん細胞を攻撃するには、正常なミトコンドリアが不可欠です。
ところががん細胞由来のミトコンドリアには…
- DNA変異(mtDNA変異)がある
- 機能が低下している
- さらに USP30 という“ミトコンドリアの自食作用(ミトファジー)を止める分子”がついている
そのため、
T細胞が受け取ったがんミトコンドリアは分解されずに残り続け、
T細胞の中の正常なミトコンドリアが逆に分解されてしまいます。
最終的にT細胞の中は、がん由来の異常ミトコンドリアで“占領”されてしまうのです。
研究チームはこれを “ミトコンドリアの乗っ取り(hijack)” と表現しました。
◆ 乗っ取られたT細胞はどうなる?
機能不全のミトコンドリアが支配的になると…
- ATP(エネルギー)が作れなくなる
- ROS(活性酸素)が増える
- 老化(senescence)が進行
- 分裂できなくなる(増えられない)
- 記憶T細胞が作れない
- PD-1など免疫活性マーカーも低下し“戦闘不能”に
つまりがんは、
T細胞のエネルギー源を破壊し、免疫を黙らせていた のです。
- この発見が“がん治療”に与えるインパクト
(1)免疫チェックポイント阻害薬(ICI)の効き目と直結
研究では、
がん細胞に mtDNA変異がある患者は免疫療法の効きが悪い
ことまで示されました。
つまり
- ミトコンドリアの状態が、免疫治療の成否を左右する可能性がある
という新しい視点が生まれたのです。
(2)USP30阻害剤という新たな治療ターゲット
USP30を止めると、
- がん由来ミトコンドリアの移植が抑えられ
- T細胞の機能低下が部分的に改善
することも示されました。
USP30は、次世代の “ミトコンドリア制御型免疫治療” の標的になる可能性があります。
(3)“ミトコンドリアのやりとり”そのものが治療標的
がん細胞は次の2つの経路を使ってミトコンドリアを送り込みます:
- TNT(トンネル状ナノチューブ)
- EV(エクソソームなどの細胞外小胞)
これらを抑える薬剤・抗体も、将来的な治療になります。
- 冨樫博士らが開いた新しい研究領域
——ミトコンドリアは単なる“エネルギー工場”ではない
本研究の本質的なメッセージは、次の一点に凝縮されます。
ミトコンドリアは細胞どうしをつなぐ、“情報と運命を左右する装置”である。
これまでの研究では、ミトコンドリアは「細胞の中だけの話」でした。
しかし冨樫博士らは、
- 細胞間でミトコンドリアが移動する
- その移動ががんの進行・免疫回避の核心にある
- mtDNA変異やミトファジー阻害など、質の違いが生物学的影響を左右する
という概念を世界に提示したのです。
- 臨床・未来へ向けた展望
このシリーズ研究は、がん医療に大きな示唆を与えます。
◎ ミトコンドリアDNA解析は、がん診断・予後予測に使える
◎ USP30阻害薬は免疫治療と併用できる可能性
◎ ミトコンドリア移送を抑える治療の開発
◎ 老化細胞(senescence)と免疫低下の理解が進む
◎ “ミトコンドリアの健康”が全身の免疫状態に影響する
まとめ:ミトコンドリアは“がんの戦略の中心”だった
冨樫庸介博士らの研究は、ミトコンドリア研究の概念を根本から変えました。
- がんはミトコンドリアを使って周囲の細胞を支配する
- 免疫細胞を“内部から”弱らせる
- それにより治療抵抗性を獲得する
- このメカニズムを理解することで、新しい治療が生まれる
ミトコンドリアは、
老化・免疫・がんのすべてをつなぐキーファクターです。
これらの研究は、
“ミトコンドリアを守ることが健康寿命を延ばす”
という現代医療の大きな潮流とも深く結びついています。

