Director's blog
院長日記

第4章 「糖化伯爵と甘い牢獄」

武本 重毅

朝日が戻ったはずのアトピック城に、
奇妙な“甘い香り”が漂い始めたのは、その翌日のことでした。

焼き菓子のようで、
蜜のようで、
どこか懐かしく、抗えない香り。

人々は笑って言いました。
「幸せな匂いだね」
「平和が戻った証拠だ」

——誰も気づかなかったのです。
それが牢獄の香りだということに。

 

城の地下。
かつてワインを貯蔵していた古い蔵に、
一人の貴族が腰掛けていました。

金色の外套。
結晶のように輝く杖。
足元には、琥珀色の鎖。

その名は——
糖化伯爵(グリケーション・ロード)

「酸化伯爵は、まだ荒削りだ……
私は、固める

彼が杖を鳴らすと、
空気の中の“甘さ”が、ゆっくりと粘りを帯びました。

 

城下町で、変化が始まります。

・肌がくすみ、硬くなる
・関節がきしむ
・血の巡りが、重くなる

それは炎症のように騒がしくなく、
酸化のように暗くもない。

ただ——
動かなくなる

姫は鏡の前で、指を見つめていました。

「……光はあるのに
動かない……?」

 

そのとき、地下から鈍い鐘の音が響きます。

カン……カン……

ミトコンドリアマンは、すぐに悟りました。

「……糖化か」

地下蔵へ降り立った彼の前に、
金色の牢獄が立ちはだかります。

壁は透明で、
中に閉じ込められた細胞たちは、
まだ生きている——
だが、動けない

糖化伯爵が微笑みました。

「壊しはしない。
殺しもしない。
ただ——結びつけるだけ

彼は囁きます。

「甘さは、幸福だろう?」

 

ミトコンドリアマンは、拳を握ります。

「自由を奪う幸福など、ない」

彼のエンブレムが淡く光り、
青い流動の波が床を走りました。

しかし——
金色の壁は、びくともしません。

糖化伯爵は肩をすくめます。

「ATPか?
それとも光か?
固まったものは、流れない

 

沈黙。

そのとき、姫が静かに一歩、前に出ました。

「……溶かせば、いいのですね?」

彼女の掌に、
やわらかな蒼白の熱が灯ります。

それは、
“分解の力”。

ミトコンドリアマンは、はっと息を呑みました。

「それは……再生の鍵

 

二人の力が重なった瞬間、
金色の牢獄に、微細な亀裂が走ります。

糖化伯爵の表情が、初めて歪みました。

「ほう……
“流れ”を思い出したか……」

彼はゆっくりと後退し、
甘い霧とともに姿を消します。

「だが覚えておけ。
時間が経てば、また固まる……」

 

地下蔵には、
溶けた光が静かに流れていました。

姫は自分の手を見つめ、呟きます。

「私……
守られるだけじゃ、ない」

ミトコンドリアマンは微笑みました。

「そうだ。
再生は、内側から始まる

 

つづく——

 

医学的メタファー(裏設定)

  • 糖化伯爵=AGEs(終末糖化産物)
  • 甘い牢獄=タンパク架橋・細胞硬化
  • 動かない光=血流低下・組織弾性低下
  • 姫の力=分解・代謝回復・更新(オートファジー/解糖制御)

Author:

武本 重毅

聚楽内科クリニックの院長、医学博士。