河野文夫(かわの ふみお)先生との出会いから24年
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日記, 推薦図書, 国際協力, 人生観 過去・現在・未来
今回ご紹介する本は、わたしの恩師である河野文夫国立病院機構熊本医療センター名誉院長が院長に就任してからの5年間に日々執筆されていた「院長室だより」をまとめたものです。
とくに推薦書というわけではないのですが(笑)…
今日12月17日がわたしと河野先生にとって記念すべき日
であるというめぐり合わせを感じましたので
河野先生とのつながりについて書いてみました。
Facebookの思い出の中、いまから24年前の今日
私と河野先生はフランスのパリにいて、二人で写っている写真を発見しました。
二人とも若く
わたしは熊本大学大学院での研究成果が雑誌BLOODに載り
今後の海外での研究に夢を膨らませ
河野先生は熊本大学第二内科から国立熊本病院へ移り
熊本で唯一の骨髄移植を立ち上げ
日本でも有数の移植施設へと歩みを始めた頃です。
それから10年
わたしは熊本を出て
米国国立癌研究所(NCI/NIH)
高知大学医学部附属病院(就任当時は高知医科大学)
を転々としながら
新しい環境で様々な出会いを楽しみつつも
また多くのことを学んでいました。
そうしている間に
両親を介護する必要から
熊本との間を往来することが多くなったので
河野先生の親友であった
故山口一成先生
(熊本大学輸血部部長、国立感染症研究所血液安全性研究部部長を歴任)
に相談して
当時副院長だった河野先生の下ではたらくことになり
熊本にもどってくることができました。
熊本では
一内科医として
そして救急当直しながらの再出発でしたが
介護にも十分な環境を整えることができて
両親も満足だったと思います。
今振り返ってみますと
河野先生ほど
わたしの性格や考え方を
よく把握し理解した人はいなかったのではないでしょうか
(ある意味、両親よりも)。
わたしが国立病院機構熊本医療センターに在籍していた12年間
内科医長
輸血管理室長
血液内科医長
臨床研究部特殊疾病研究室長
JICA国際交流コースリーダー
熊本大学非常勤講師
熊本大学大学院医学教育部客員准教授
熊本市医師会国際交流委員
臨床検査室長
と様々なポジションを経験させていただきました。
そして河野先生が院長になられてからは
「○○病院の院長にならんか?」
「○○大学の教授選にでらんか?」
と話をもってきていただきましたが…
いつものごとく「いいえ」、「はい」と
自分で「選択」させていただくという具合で
院長のはなしはお断りし
教授選考は2回とも落ちてしまいました。
最近
「選択」に関する本
をご紹介する機会が増えましたが
このように回り道した
わたしの人生ではありますが
やはり自分で「選択」してきたので
その後の覚悟というか
身のもって行き方は
それなりに納得のいく形になったのだと思います。
特に国際交流は
河野先生が蟻田功先生から引き継ぎ
それを任せていただいたことは
わたしの人生の中の大きな柱になったように思います。
わたしの視野は大きく世界へと広がり
日本を、そして熊本を訪れる
外国人の学びや生活をサポートする喜びを味わうことができました。
白血病に対する化学療法や造血幹細胞移植で
患者を「生かす」という仕事から、
何かに取り組んでいる人を
日本人だけでなく外国人も
「活かす」ことに生きがいを見出すように
わたしの人生観も変化していったようです。
わたくしが国立病院機構熊本医療センターではたらいたのは
河野先生に誘っていただいたからであり
河野先生のためにはたらくと心に決めていましたので
河野先生が定年退職をするのを機に
わたしも外へ出ました。
いまでは大病院組織の中ではたらく一従業員ではなく
自分の毎日
自分の進む道を
自分で切り開く
独立した一人としての生活を目指しています。
長い間
河野先生には
わたし個人のことだけでも大変お世話になったと思いますが
その他の方々
組織
を統括してこられた河野先生の
ご苦労は並大抵なものではなかったと思います。
身近で
このように素晴らしい方に出会い
いまの私を形づくっていただいたことに
感謝するほかありません。