Director's blog
院長日記

医療の将来について  21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考(ユヴァル・ノア・ハラリ)

本をまだ1回しか読んでいませんが、面白いと思うところを以下に抜粋してみます。

 人間には二種類の能力がある。「身体的」な能力と「認知的」な能力だ。過去には機械は主にあくまで「身体的」な能力の面で人間と競い合い、人間は「認知的」な能力の面では圧倒的な優位を維持していた。だから、農業と工業で肉体労働が自動化されるなかで、人間だけがもっている「認知的」技能、すなわち学習や分析、意思の疎通、そして何より人間の理解を必要とする新しいサービス業の仕事が出現した。

 人工知能(AI)革命とは、コンピューターが早く賢くなるだけの現象ではない。人間の情動や欲望や「選択」を支える生化学的なメカニズムの理解が深まるほど、コンピューターは人間の行動を分析したり、人間の「意思決定」を予測したりするのがうまくなる。

 過去数十年の間に、神経科学や行動科学のような領域の研究のおかげで、人間がどのように「意思決定」をおこなうかが、はるかによく理解できるようになった。食物から配偶者まで、わたしたちの「選択」はすべて、一瞬のうちに「確率」を計算する何十億ものニューロンによってなされることが判明した。自慢の「人間の直感」も、実際には「パターン」認識にすぎなかったのだ。これは、「直感」を必要とされている課題においてさえAIが人間を凌ぎ得ることを意味している。

 このようにAIは、人間をハッキング(脳などのメカニズムとダイナミクスを解明すること)して、これまで人間ならではの技能だったもので人間を凌ぐ態勢にある。だが、それだけではない。AIは、まったく人間とは無縁の能力も享受しており、そのうちとくに重要なものが二つある。「接続性」と「更新可能性」だ。

 人間は一人ひとり独立した存在なので、互いに接続したり、全員を確実に最新状態に更新したりするのが難しい。それに対してコンピューターは、それぞれが独立した存在ではないので、簡単に統合して、単一の柔軟なネットワークにすることができる。したがって、自動化について考えるときに、単一の人間の医師と単一のAI医師の能力とを比べたりするのは間違っている。人間の個人の集団能力と、統合ネットワークの能力とを比べるべきなのだ。

 もし世界保健機構(WHO)が新しい疾病を認定したり、研究所が新薬を開発したりしたら、こうした進展を世界中の人間の医師全員に知らせることは不可能に近い。それに対して、たとえ世界中に100億のAI医師が存在し、それぞれが一人の人間の健康状態をモニターしていたとしても、そのすべてを瞬く間にアップデートでき、それらのAI医師はみな、新しい疾病や薬についての自分のフィードバックを伝え合える。

 個々の人間をコンピューターネットワークに切り替えたら、個別性の利点が失われるとして、異論を唱える人がいるかもしれない。たとえば、一人の人間の医師が判断を誤っても、世界中の患者を殺すこともなければ、すべての新薬の開発を妨げることもない。それに対して、もし医師全体が本当は単一のシステムにすぎず、そのシステムが間違いを犯せば、大惨事になりかねない。

 実際には、統合されたコンピューターシステムは、個別性の恩恵を失わずに「接続性の利点を最大化し得る。同じネットワークで多くの代替アルゴリズムを作動させることが可能だ。だから、辺ぴな密林の中にいる患者は、自分のスマートフォンを使って、単一の権威ある医師ではなく、実際には100の異なるAI医師にアクセスできる。それらのAI医師の相対的実績は絶えず比較されている。IBMの医師に言われたことが気に入らなかった? 大丈夫。たとえあなたがキリマンジャロの斜面のどこかで立ち往生していたとしても、いとも簡単にバイドウ(百度)の医師と連絡をとって、セカンドオピニオンが聞けるから。

 おそらく、人間社会が受ける恩恵は計り知れない。AI医師は何十億もの人に、これまでよりもはるかに優れた医療をはるかに安く提供できるだろう。とくに、現在は何の医療も受けていない人々には、学習アルゴリズムと生体センサーのおかげで、発展途上国の貧しい村人さえもが、現在、世界で最も裕福な人が最も進んだ都会の病院で得るものよりもはるかに優れた医療を、スマートフォンを通して享受できるようになるかもしれない。

 少なくとも短期的には、狭い範囲での定型化された業務を専門とする職は、自動化されるだろう。だが、幅広い技能を同時に必要とし、予期できない筋書きに対処するような、あまり定型化されていない職で、機械が人間にとって代わるのは、はるかに難しい。医療を例にとろう。多くの医師は、情報の処理にほぼ専念している。医療データを取り込み、分析し、診断をくだす。それに対して看護師は、痛みを伴う注射を打ったり、包帯を取り換えたり、暴れる患者を拘束したりするために、優れた運動技能や情動的な技能も必要とする。したがって、AIの家庭医をスマートフォンでもてるようになってからも、信頼できる看護ロボットが手に入るまでには何十年もかかるだろう。病人や幼児や高齢者などの世話をする対人ケア産業は、ずっと先まで人間の独壇場であり続ける可能性が高い。それどころか、人間の寿命が延び、少子化が進むにつれ、高齢者の介護は人間の雇用市場のうちでも、著しい成長をみせる部門の一つとなるだろう。

Author:

武本 重毅

聚楽内科クリニックの院長、医学博士。