Director's blog
院長日記

「選択」の自由と平均寿命との関係について、先日ご紹介した本「選択の科学」から引用してみましょう。

選択の科学(シーナ・アイエンガー、櫻井祐子訳)

 わたしたちが「選択」と呼んでいるものは、自分自身や、自分の置かれた環境を、自分の力で変える能力のことです。そして、実際に状況をコントロールできるかどうかよりも、コントロールできるという認識の方が、はるかに大きな意味を持ちます。

 最近の科学技術の進歩はめざましく、たとえば機能的磁気共鳴画像(fMRI)装置を使って脳をスキャンすれば、「選択」にかかわる主要な脳の部位を特定することができます。それは皮質線条回路とよばれる領域です。その主要な構成要素である線条体は、脳の中央部に深く埋め込まれていて、高次と低次の精神機能をつなぐ配電盤のような役割を果たす、大脳基底核とよばれる構造の一部です。その線条体が「選択」決定で担う一番大事な役割は、経験に伴う報酬について判断を下すことにあります。
 ただ、そのためには関連づけが必要となるので、皮質線条体回路のもう半分である、前頭前皮質が絡んできます。額のすぐ後ろにある前頭前皮質は、脳の司令センターのようなはたらきをします。線条体や身体のその他の部位からメッセージを受け取り、このメッセージをもとに、最良の行動指針を決定し、実行します。また前頭前皮質は、行動が今または将来的におよぼす影響の、複雑な費用効果分析にもかかわっています。そしてもう一つ、わたしたちは前頭前皮質があるおかげで、長い目で見て自分のためにならないとわかっていることをやってしまいそうになっても、その衝動を抑えることができるのです。前頭前皮質の発達は思春期以降も続くため、この能力は年齢とともに向上します。

 

動物園の動物たちの寿命は短い

 動物園での飼育は、客観的にみて野生より生活条件がよいにもかかわらず、身体的、心理的な悪影響のせいで、寿命を縮めることが多いようです。動物園は物質的な快適さを提供し、動物の自然生息環境をできるだけ忠実に再現しようと奮闘しています。しかしながら、どんなに進んだ動物園であっても、動物が野生で経験するような刺激や、自然な本能を発揮する機会を与えることはできません。監禁生活の絶望を最もよく訴えかけるのは、ライナー・マリア・リルケの詩『豹』でしょう。格子が本物であれ比喩であれ、自己決定権を失った者にとって、この喪失の痛みの先には、何も存在しないように思われます。

 

社長は長生きする

 わたしたち人間は、動物のように監禁されるおそれには直面していないかもしれません。しかし、全体の利益のために、個人の「選択」を部分的に制限するような体制を、自ら進んで生み出し、それに従っています。生活の中で、自由と統制のバランスをうまく図れるかどうかが、健康のカギを握っています。
 冠状動脈性心臓病で死亡する確率は、職業階層の高さと仕事に対する自己決定権の度合いが、直接的に相関していることがわかりました。また勤務時間中の血圧の上昇を引き起こした原因が、自分で仕事の内容を決められないことにあることを、はっきり示していました。仕事に対する裁量権がほとんどない人たちは、背中のコリや腰痛を訴えることが多かったほか、一般に病欠が多く、精神疾患率が高かったようです。これは飼育動物によくみられる常同症の人間版と考えられ、持続的になくならないストレスは、身体面では免疫システムの弱体化や潰瘍、心臓障害を誘発することがあり、精神面では反復性の、場合によっては自己破壊的な行動を引き起こしかねません。
 わたしたちは職場のストレス要因だけでなく、自分の力ではどうしようもない、日々の苦しみに悩まされています。仕事に邪魔が入る、交通渋滞に巻き込まれる、バスに乗り遅れる、周りの音や光、等々。興奮と緊張感は、現代社会ではフラストレーションや腰痛を引き起こしかねません。

 人生の辛いできごとを不可抗力のせいにする人は、自分次第で何とでもなると信じている人に比べて、うつ病にかかりやすいほか、薬物依存で虐待関係といった破滅的な状況から抜け出せず、心臓発作が起きても助かる確率は低く、そのうえ免疫システムの低下やぜんそく、関節炎、潰瘍、頭痛、腰痛に悩まされやすいといいます。

 人々の健康に最も大きな影響を与えた要因は、人々が実際にもっていた自己決定権の大きさではなく、その認識にありました。飼育動物とは違い、人間の自己決定権や無力感のとらえ方は、外部の力だけで決まるわけではありません。人間は、世界に対する見方を変えることで、選択を生み出す能力をもっています。たとえ状況が自分の手で負えないように思えても、自分の力で何とかするという気持ちをもつことで、より健康で幸せな日々を送ることができます。

Author:

武本 重毅

聚楽内科クリニックの院長、医学博士。