Director's blog
院長日記

国際的に交流した25年を振り返って

武本 重毅

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日本がバブル後の経済危機に見舞われていた1996年6月から1999年11月の間

わたしは日本を離れて米国に住み

米国国立癌研究所の客員研究員として毎日研究に没頭しながら

プールつきのマンションに住み海外生活を楽しみました。

一流ではありませんでしたが、それなりの論文を執筆することができました。

ワインの味に目覚めたのもこの頃です。

 

1999年12月に帰国してからは

生まれて初めて四国に渡り

高知で2005年5月まで過ごしました。

外国人の中で仕事し暮らしていたせいか

高知の人びととも上手く付き合っていけました。

しかし仕事では意思疎通が難しいところがあり

なかなか成果をあげることができず月日が流れました。

そこへ

海外からの留学生を指導する機会に恵まれ

それからは再び仕事が面白くなり

何とか一花咲かせて、熊本に帰りました。

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件をテレビで見て

日本に帰国していてよかったと思いました。

 

国立病院機構熊本医療センターは

天然痘撲滅に貢献した蟻田功先生がいらっしゃったこともあり

国際協力機構(JICA)関連の研修を主催するなど

国際交流で熊本から世界に情報発信していました。

そこで

エイズ関連の仕事を引き継ぎ

毎年、海外からの研修員を熊本に招き1ヵ月余りを一緒に過ごしました。

しかしながら

2011年3月11日の東北大震災のときは肝を冷やしました。

研修員たちが東京の国立感染症研究所やSRL検査センターなどを視察して

京都に入った翌日のことだったのです。

もしも東京にいたら

東京から脱出することもままならず

何らかの被害を被っていたかもしれません。

そして

2016年4月14日からの熊本地震です。

ついその前まで

マレーシアからの高齢者対策のための研修員を受け入れていました。

皆が帰国した後だったので

難を逃れることができたのでした。

このようにして

日本そして熊本での国際交流研修を引き受けてよいものかどうか

悩むようになりました。

 

熊本市国際交流委員として

米国ベア郡の医師団を熊本に迎え

わたし自身も米国サンアントニオを訪問したのは2019年夏のことでした。

そして、

これが最後の渡米になるかもしれません。

今、私たちは

新型コロナウイルスのパンデミック

ロシアのウクライナ侵攻

世界的な経済危機へと

数百年に一度人類に襲いかかる世界的異変

大恐慌の始まりの中にいます。

この数年間が

それ以降の世界を

一変させてしまうかもしれません。

その中で

わたしが出来る事は

まず自身の足下を固めることだと思いました。

日本、そして熊本にじっくり腰を据え

私たち日本人の周辺で、これから起こる様々な危機を回避し

解決していかなければなりません。

 

海外との国際交流は一旦お休みすることにしました。

Author:

武本 重毅

聚楽内科クリニックの院長、医学博士。