Director's blog
院長日記

ドラッカー著「断絶の時代」から⑦:仕事の変化

武本 重毅

これは20世紀から21世紀にかけての歴史的変化ではありますが

いま世界で起こっているパンデミック・経済危機・世界紛争の影響によっては

より先の未来へ向おうとする変化から

後戻りしなければならないということもあり得ます。

われわれは今まさに歴史的潮流の中にいます。

 

経済の基盤は肉体労働から知識労働へと移行し

社会的支出の中心もから知識へと移行しました。

知識労働者の動機付けに必要なものは成果です。

彼らは自らの貢献を知らなければなりません。

肉体労働者のマネジメントとは大いに異なります。

肉体労働者については、良い仕事に対しては良い賃金で良いのです。

知識労働者については、すごい仕事に対してはすごい報酬でなければなりません。

知識労働者が求めるものは肉体労働者よりもはるかに大きいのです。異質でさえあります。

知識労働の生産性は

肉体労働のそれが19世紀の最大の課題だったように

今日最大の課題となりました。

マネジメントされた知識労働とされていないそれとの差は、肉体労働における以上にはるかに大きいのです。

あまりに多くの知識労働者

たとえ仕事に満足していても、中年の初めには飽きてきます。

定年のはるか前に、興奮、意欲、情熱を失います。

学校教育は延長されましたが、それでもまだ労働寿命は長すぎます。

知識労働者の定年は簡単な問題ではありません。

定年後あっという間に呆けます。

知識労働には習慣性があります。20年以上続けていると止められなくなります。

そのくせ同じ仕事では情熱を持って働き続けることはできません。途中で燃え尽きます。

このことは、権力や地位のトップまでいくごくわずかな者については当てはまりません。

トップのものは情熱を持ち続け没頭し続けます。

しかし労働寿命は、学校教育の延長によってはもうこれ以上短縮することができません。

むしろ学校教育の方が短縮の方向に信じるべきところまで来ています。

したがって問題をなくすことはできません。

しかしそれは1つの機会とすることができるし、またしなければなりません。

すなわち、中年に達した知識労働者第二の人生を始めることができるようにする必要があります。

順調にやってきた45歳あるいは50歳といえば、心身ともに働き盛りです。

その彼らが仕事に疲れ飽きたということは

他への貢献、自らの成長のいずれにおいても、第一の人生では行き着くところまで行ったということであり

そのことを知ったということになります。

年齢をもって退職させることは

残酷であるだけでなく

人的資源の浪費です。

年齢をもって退職させることが必要なのであれば

彼らが第二の人生を得ることのできる仕組みを作らなければなりません。

人は年によって老いるのではありません。

65歳でも35歳のものより若いことがあります。

また、人は皆同じように老いるわけではありません。

したがってわれわれは、第二の仕事の卸売市場を作る必要があります。

特に若い人たちが後につかえていない仕事に彼らがつけるようになった時

初めてわれわれは、労働寿命の延長という現代の偉業を活かすことができたといえます。

仕事に挑戦を感じなくなったものは成長が止まったと思います。

確かに現在の仕事では成長が止まったかもしれません。

だが、有能であり、病気でないならば仕事さえ変えれば再び成長することができます。

知識労働者自身も

自らの考えを変えなければなりません。

45歳でやり直すことは恥ずかしいことではありません。

案外簡単なことであることを知らなければなりません。

しかも、第二の人生

仕事への不満や倦怠から逃れるための酒や、火遊びや、精神分析医よりもはるかに面白いはずです。

Author:

武本 重毅

聚楽内科クリニックの院長、医学博士。