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院長日記

ドラッカー著「断絶の時代」から⑩:教育革命の必然・経験の重要性

武本 重毅

医学の世界でも専門医制度が広く浸透し

自分の専門外の病気をみると

専門医に紹介するという形になっていました。

ところが新型コロナ感染禍の到来により

紹介することで感染リスクが高まり

病院内に感染者が出現することによりクラスターとなり

逆に紹介を断るという場面も見受けられるようになりました。

さらに

院外処方で薬局に薬を取りに行くことも一般的となっていましたが

薬局に集まる人びとの中での感染リスクがあります。

われわれにとって最も貴重な資源である

時間

(院内処方であれば必要のない)余計なことに費やす

ことへの疑問も生まれました。

 

つまるところ、とるべき道は

ジェネラリストからスペシャリストではなく

そのだということです。

ジェネラリストたるためには

経験との関連において専門知識を理解する能力

すなわち専門を一般に関連付ける能力が必要とされます。

 

確かに若者は一般的な知識の基盤を必要とし

ビジョンを必要とします。

しかし真の一般化ともいうべき知識の総合となると

彼らにとってはまだ意味があることにはなりません。

したがって継続教育こそ

真のジェネラリストを生み出す場であると言えます。

そこにおいてこそ

全体すなわち総合を見哲学し意味を問うことができるようになります。

これまでの経験からするならば、

継続教育の考え方の方が

学校教育の延長のそれよりも正しいことが明らかです。

継続教育

学校教育の延長に象徴される旧来の教育観を超える大きな一歩となります。

しかもそれは、知識が仕事の基盤となる大転換の当然の帰結です。

知識社会では

もはや学校と生活は切り離されたものではありえません。

学校と生活は相互にフィードバックしあうという

有機的なプロセスの中で結合されます。

これこそが継続教育が目指すものなのです。

学歴の高くない者には機会さえ与えないということは

能力と行動力を持つ無数の人たちに対し

成果を上げ社会に貢献するための道を閉ざすことを意味します。

純粋に学問的な仕事は別として

学校での成績と仕事での能力とは関係がありません。

卒業証書は

長期間学校に通ったこと以外のことは何も意味しません。

卒業証書をもって

能力や将来性を判断できるほどには、人間の成長過程は一律ではありません。

学歴はないが

実力と意欲がある者を見つけさえすれば

彼らに知識を与えることは容易です。

継続教育の機会があるからです。

Author:

武本 重毅

聚楽内科クリニックの院長、医学博士。