森北喜久馬
 
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蟻田功さん=2011年撮影
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 天然痘の撲滅に大きな役割を果たした熊本医療センター名誉院長の蟻田功さんが亡くなった。海外で活躍した後は熊本を拠点に世界の医療向上に尽くした96年の生涯だった。

 2008年、蟻田さんは朝日新聞熊本版で「感染症との闘い」をテーマに半生を振り返る連載をしている。その冒頭で触れたのが母校の第五高等学校(旧制五高)でよく歌った「デカンショ節」の一節だ。

 ●(●は歌記号〈いおり点〉)デカンショ デカンショで半年暮らす あとの半年寝て暮らす

 蟻田さんは当時81歳。「目覚めていた人生の半分」に当たる40年間のうち最初の10年は勉強に明け暮れ、熊本医科大(現在の熊本大学医学部)で学んだ。その後の30年はWHO(世界保健機関)で天然痘とポリオの根絶計画に参加した。

 天然痘は1980年にWHOが根絶を宣言。蟻田さんは85年に帰国すると、国立熊本病院(現在の熊本医療センター)の院長に就いた。

 当時、スタッフだった聚楽内科クリニック熊本市東区)の武本重毅院長(62)によると、蟻田さんは発展途上国の医療水準を上げる講座を企画。JICAの協力を得て、ブラジル、タイ、エジプトネパール、モロッコ、ウクライナモルドバなどから医療関係者を招いた。武本さんは「1時間の講義のために、東大や京大からも医師たちが熊本にやってきたのには驚いた」という。

 WHOがあるスイスや感染症が猛威を振るうアフリカに合計23年間住んだ後、東京でなく故郷熊本で生きる道を選んだ。朝日新聞の2011年のインタビューでは、「世界から見ると、何でも中央偏重というのはおかしい」と語っていた。

 死去した3月には新型コロナウイルスが感染症法で5類になる見通しが立っていた。武本院長は「天然痘ワクチンをしらみつぶしに打つために、アフリカの奥地で殺されそうになったこともあったそうだ。ワクチンの勝利を見届けて喜んでいたのではないか」と話している。(森北喜久馬)