どこまで生産的“楽天主義”に徹しられるか 論語【述而篇】
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子曰く、疏食(そし)を飯(くら)い水を飲み、肱(ひじ)を曲げてこれを枕とす。楽しみまたその中(うち)に在り。不義(ふぎ)にして富かつ貴(たっと)きは我において浮雲(ふうん)のごとし。
玄米の飯を食い、水を飲み、夜寝るにも枕もなく、肱(ひじ)を曲げて枕の代わりとする。きわめて簡易な生活である。しかもこれに安じて楽しみをこの中に見出し、楽天主義に徹する。世間の人はこれができず、なんとか富貴を得ようし、その手段の善し悪しを問わない。けれども不義不理で得た富貴は、浮雲のようなものでいつ何時消散するかもしれないから、そんなことを考えない。
真の富貴を得る方法は、知識を学び技術を修得するのと同じである。調査もせず研究もせず頭を十分に働かせなかったら、とても真の富貴は得られない。
(渋沢栄一「論語」の読み方、竹内均編・解説)
公立病院で働き、公務員として働いていると、決まった仕事をしていれば給与という形でお金を得ることができる。しかしそれでは定年後も組織や他人に依存していかなければ生きていけない。自分自身で利益を得る仕組みをつくり上げる必要がある。