子(し)曰(いわ)く、回(かい)その心三月(さんげつ)仁(じん)に違(たが)わず、その余(よ)は則(すなわ)ち日に月に至るのみ。 論語【雍也篇】
志は三か月不変なれば本物になる
孔子の門人多数の中で、顔回(がんかい)一人だけは「仁」の心を三月の長い間も持続していけるが、その他の人々は、日に一度か月に一度くらいしか「仁」の心になりえない。顔回の徳業はすべてにまさると孔子はほめた。
むかし、浅草に一人の悪人がいた。人を殺したが、懺悔して僧となり名を禅海(ぜんかい)と称した。諸国を行脚(あんぎゃ)して九州豊前の国に来た。耶馬溪(やばけい)の渓流に臨むけわしい道があった。禅海はこれを見て衆生(しゅじょう)を救う大願を立て、その山すそに隧道(ずいどう)(トンネル)を掘ることを考え、毎日鑿(のみ)と鎚(つち)とで巌石(がんせき)をうがち、朝夕は近村を托鉢(たくはつ)して衣食(えじき)の資をつくり、日中は晴雨風雪をいとわず、二十年間岩を掘りつづけた。こうして功成り志遂げて隧道は貫通し、人馬の往来は安全となった。世にこれを「青の洞門(どうもん)」といって耶馬渓中の名勝地となった。これは善に目覚めて「仁」者となった好例である。
(渋沢栄一「論語」の読み方、竹内均編・解説)
この情報過多、早いテンポで事が進む現代において、3年同じ仕事を続けるのは難しいのかもしれないが、3か月同じ志をもち続けることも難しいのであろうか。3か月も同じ志をもつことができれば、それこそ自分の運命、進む道なのかもしれない。そして3年続けることができれば、自分に合った仕事なのであろう。ただマンネリ化してはいけない。常に新しい風を受けて、さらによりよい未来を目指していこう。