History of sturdy
院長研究史

井の中の蛙

 

~国際的視野、比較することの重要性~
波瀾万丈の武本重毅研究史

 

 

 

 

第1章 なぜ研究を始めたのか

 

成人T細胞白血病とは 「九州の風土病」

 

九州で働く医師たちは「教科書に載っている白血病とちょっと違うけど」と思っていたようです。

私が医学部を目指す前の血液学会のレベルって、そんなものだったんです(白血病も不治の病といわれてました)。

しかしアメリカ帰りの京都大学医学部附属病院の医師の眼には、明らかに異なる病気、目新しい病気として映ったに違いありません。

何人か同じ症状の患者を診ている間に、その人たちがすべて九州出身者であることに気づきました。

普通であれば、その辺で適当に論文とするのでしょうが、高月 清先生は自分の足で九州の各大学病院を回り実際の情報を収集して回ったのです。

そして新しい病気であることを確信しました。
https://www.jsps.go.jp/j-grantsinaid/22_letter/data/news_2011_vol3/p-18-19.pdf

 

 

 

 

私と成人T細胞白血病との出会い

 

私は高校卒業後・・・・女性と熊本大学医学部入学後結婚し、アルバイトをしながら3人の子供を得ましたが、ちょうど第二内科に入局した頃、すなわち成人T細胞白血病発見者である高月 清教授(当時)の下で働き始めた頃に、・・・・がそのウイルスに感染していることが判明しました(ちなみに私はウイルスを持っていない)。

・・・・はエホバの証人として活動していました。

私は彼女らと別れ、輸血で白血病患者を救う道を歩んでいきました。

しかし彼女たちの未来を何とかしてやらなければならないと思うようになり、そこで大学院に進み多発性骨髄種という別の研究グループに属しながら成人T細胞白血病の研究を始めました。

すると、これがまた指導者に恵まれ、面白いように成果を上げることができました(文献1)。
http://www.bloodjournal.org/content/bloodjournal/84/9/3080.full.pdf?ssochecked=true

 

 

 

 

成人T細胞白血病解明への道

 

しかし肝心の治療に結びつくような研究ではありませんでした。

そこに長年の夢であった渡米の話が舞い込んできます。

アメリカで成人T細胞白血病ウイルスを発見した研究室です(エイズウイルスの発見者にはなれなかった)。

米国癌研究所で研究に没頭した3年半

大学院で研究をしながらすでにアメリカでの研究テーマは決まっていました。

当時一世を風靡していたサイトカイン受容体下流のシグナル伝達、JAK-STAT分子の活性化状態を実際の患者細胞で調べるというものでした(文献2)。
https://www.pnas.org/content/pnas/94/25/13897.full.pdf

この論文は多くの研究者に引用されることになります。

 

 

 

 

 

第2章 成人T細胞白血病を治す方法を探して

 

ヒットした米国国立癌研究所での仕事

 

私の論文の代表作は多くの研究者の論文に引用されました。

 

(写真1 PNASホームページより)

 

その中の1人が、がん遺伝子学会の学会場で出会った研究者です。

彼は私が最初日本で研究の対象としていた多発性骨髄種の腫瘍細胞を用いて、私と同じようにJAK-STAT分子の活性化状態を調べていました。

彼のポスターを前に意見を交換しましたが、彼の実験結果は私の結果にとても似ていました。

そして私自身が不思議に思っていた通常では認めないような薄いバンドを彼の多発性骨髄腫瘍細胞の解析結果でも認めました。

それから、ちょっとしたことなんですけども、T細胞とB細胞という違いはあるけれども、成熟したリンパ球の腫瘍細胞内では同じ変化が起こっているのではないかと思うようになりました。

https://www.cell.com/immunity/fulltext/S1074-7613(00)80011-4

 

確かに振り返ってみると、渡米する頃LEUKEMIAに報告したように、成人T細胞白血病の骨病変は多発性骨髄種のそれに似ており、2つの血液腫瘍の間には共通性があります(文献3)。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/m/pubmed/8637243/?i=9&from=Takemoto%20S,%20ATL

 

このように、大学院の4年間に多発性骨髄種と成人T細胞白血病という2つの疾患の研究に携われたことは、帰国してからの研究にも役立つことになりました。

 

 

 

 

生まれて初めての四国 高知での臨床・教育・研究

 

帰国した私は、やはり成人T細胞白血病患者が多い高知で働くことになりました。

この白血病がウイルスでおこることを証明した三好勇夫先生が名誉教授として在籍していらっしゃいました。

しかし大学附属病院のある南国市からは遠く徳島県や愛媛県に近いところに患者が集中していたので、教授と2人で患者を紹介してくれるよう地方回りをしました。

それから大学附属病院を受診する患者も徐々に増えていきました。

 

 

 

 

サイトカイン受容体CD30

 

そのような中ある患者に出会いました。

成人T細胞白血病発症の早い段階と考えられました。

そのリンパ節(胃)標本を顕微鏡で観察していて見つけたのが、成人T細胞白血病腫瘍細胞が増えている合間に存在する大型の細胞です。

この細胞は、ホジキンリンパ腫という他の血液腫瘍や伝染性単核球症という若い人たちがキスして発症する病気の原因であるEBウイルスに感染しており、CD30分子を細胞表面に発現していました。

この時2つの仮説を立てました。

その一つは、これまで成人T細胞白血病を発症するまでには白血病ウイルス感染から5つのイベントが必要だと考えられてきました。

そしてそれは遺伝子の変化の蓄積と思われていました。

私は必ずしもそうではなく、新たなウイルスの感染もその誘因になると考えました。

仮説のもう一つは、CD30というサイトカイン受容体の存在です。

CD30発現も成人T細胞白血病の発症に必要かもしれないと考えたのです。

何度も出てきますが私は成人T細胞白血病がT細胞とB細胞の共通(あるいは混合)のメカニズムによって増殖していると考えており、このCD30という分子もT細胞とB細胞の両方で活性化状態に関わる分子です。

 

 

 

 

血液中に放出されるCD30(可溶性CD30)

 

当時の研究室で成人T細胞白血病ウイルス以外の他のウイルスの共感染を証明するのは金銭的な理由もあり難しいことでした。

私はCD30、そのCD30分子が酵素により切断され血液中に放出される可溶性CD30に注目しました。

そこで幸運にも研究を援助していただける機会に恵まれました。
https://www.kyowa-kirin.co.jp/csr/csr_report/pdf/er2005j_all.pdf

そして化学系(プラスチック燃焼、再利用の研究)から医学系を学びなおそうと私の部屋にやってきた大学院生とともに、細胞表面から離れ血液中に増加した可溶性CD30濃度を測定し、成人T細胞白血病患者でその濃度が上昇する意味を考察しました(文献4)。
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/pdf/10.1111/j.1349-7006.2005.00106.x

可溶性CD30測定値を臨床応用した世界で初めての研究発表

ただこの時は、血液中の可溶性CD30濃度が高い状態は白血病の悪性度が高く治療が効きにくい状態を表していると考えていました。後述しますように実際には別の意味があったのですが。

 

 

 

 

白血病細胞の増殖シグナルを抑える物質 クルクミン

 

その一方で、アメリカでの自分の仕事がどのような研究者に引用されているのか見るのも楽しみの1つでした。

するとAggarwal博士という名前と、彼が提唱する癌細胞増殖を抑制するcurcumin (クルクミン)という物質に目がとまります。
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Bharat_Aggarwal

恥ずかしいことに、私はよく調べもせずに彼に手紙を書きました。

そして自分の研究に使いたいからとクルクミンを送ってもらったのですが、これがなんとカレー粉(のようなもの)だったのです。

2003年頃のことです。

いまでこそテレビのCMで「クルクミン○○mg含有」などとよく耳にしますが、その当時はクルクミンもウコンも全く知りませんでした。

 

 

 

 

訪日外国人を指導しながらの研究の日々

 

約5年半の高知での生活、その間には私の部屋で一緒に研究した外国人たちとの仕事もありました。

パレスチナ人の彼が手書きでグラフを作成しているのに気がつかず、そのまま論文を投稿しまったこともありましたっけ(文献5,6)。
https://www.jsltr.org/journal/43-2/4302_01.pdf
https://www.jsltr.org/journal/44-1/4401_03.pdf

 

見も知らずの初めての土地で、なんとか自分にできることはやれたと思っています。

そして両親の介護のこともあり、熊本に戻り、国立病院機構熊本医療センターで働き始めました。

2005年6月(44歳)のことです。

 

 

 

 

 

第3章 新しい治療方法と診断方法への取り組み

 

国立病院機構熊本医療センターに赴任して

 

その当時の熊本医療センターは、3つの特徴がありました。

まず、第一に救急医療に力を入れ、他県で問題になっていた救急患者のたらい回しに対抗すべく「24時間絶対に患者受け入れを断らない救急」を実践していました。

第二に前院長の蟻田功先生と細川護煕前首相が力を合わせ、熊本に世界の優秀な人々を集めてJICA国際研修が行われていました。

その間1ヵ月ほど研修員たちは熊本医療センター敷地内にある教育研修棟で寝泊まりしながら生活を共にします。

そして最後に、熊本で唯一骨髄移植、造血幹細胞移植を行うことができる施設として、白血病など多くの血液悪性疾患患者を治療していました。

その中で、私はまず一般内科医として再スタートを切ったのです。

 

 

 

 

全国一の救急当直体制

 

白血病などの血液疾患患者を診ながらの救急当直は大変でした。

限られた救急科医師だけでは24時間365日体制の救急医療を実現することはできません。

各診療科の当番医が朝から外来や病棟患者の治療を行い、通常の勤務からそのまま当直に入り、朝まで当直してそのまま次の日の通常勤務が始まるという過酷な生活でした。

ある日救急外来に浮浪者が運び込まれ死亡確認をしました。

両足にはウジがわき、ものすごい悪臭にみまわれました。

その間にも病棟からは担当患者急変の連絡が入ってきます。

病棟の担当患者の・・・・、そして死亡確認を行いました。

熊本に帰省しており駆けつけた、フランスでレストランを経営している息子さんから「こんな夜中にすぐに駆けつけてくれてありがとうございます。」と言われ、私は返す言葉もありませんでした。

 

 

 

 

国際医療協力基幹施設

 

今回省略しますが、JICAの国際交流には2008年頃から本格的に関わるようになり、多くの研修員のお世話をしました。

外国からの友人たちだけでなく、国内の著名な先生方友人達と知り合うことができました。

今でもFacebookなどで世界とつながっています。

また、世界のエイズ事情や高齢化の傾向と対策について直に知ることができたのは勉強になりました。

ただ、その情報を皆様に発信できていないのは残念な限りです。

 

 

 

 

成人T細胞治療その一:同種造血幹細胞移植

 

さて本題に戻りましょう。

その頃、成人T細胞白血病の治療法として最も期待されていたのが骨髄移植を代表とする造血幹細胞移植です。

しかも他人から採取したものを移植する同種移植でなければなりません。

それまで抗がん剤を組み合わせた化学療法だけでは必ず再発して治療がきかなくなるといわれていた白血病ですが、この移植療法を行うことにより病気を克服することが可能になりました。

私は骨髄バンク担当医師を兼ねながらこの治療法に取り組みました。

 

 

 

 

患者血液中のサイトカイン受容体濃度測定方法から得られた特許

 

また私が高知で始めた患者血液中の可溶性CD30測定ですが、助成をいただきながら、熊本でも研究を続けることができました。そのおかげで職場での発見という形ですが特許を取得していきました。
https://biosciencedbc.jp/dbsearch/Patent/page/ipdl2_JPP_an_2008116144.html
https://biosciencedbc.jp/dbsearch/Patent/page/ipdl2_JPP_an_2013171836.html
https://biosciencedbc.jp/dbsearch/Patent/page/ipdl2_JPP_an_2013171832.html

 

 

 

 

初めてのタイ訪問

 

そのような中の2009年の8月、熊本大学エイズ研究センターの岡田誠治先生から声がかかり、突然タイを訪問することになりました。

岡田先生とは、高知から帰熊を考えていた頃に熊本大学教授として赴任する岡田先生の教室で働くことを希望したことや、帰熊した後も私がお世話していたエイズ対策のJICA研修コースで講師をお願いしていたという経緯があります。

タイ東北地方コンケン市にある国立病院と熊本市の国立病院である熊本医療センターとの共同研究を始めたいという話でした。

その場所で、私の49歳の誕生日に、私は看護師兼院長秘書として活躍を期待されている女性と出会うことになります。

 

 

 

 

タイ女性と二人三脚で取り組んだ研究

 

彼女は優秀で英語も堪能で、そして彼女を日本の大学院医学博士課程に入学させる計画が持ち上がります。

私はそれを全面協力して、一緒にタイの高齢者対策だけでなく成人T細胞白血病の病態解明に取り組みました。

その結果、われわれは次々に論文を報告し、最後には、これまで謎とされていた成人T細胞白血病細胞の血液中の出現や肺など多くの臓器に病巣をつくる過程を説明するところまで明らかにすることができました。

CD30分子を白血病細胞の膜表面から切り離す酵素の働きに目を転じたおかげなのでした(文献7)。
https://www.researchgate.net/scientific-contributions/76238157_Ratiorn_Pornkuna/amp
https://www.jstage.jst.go.jp/article/rinketsu/57/7/57_848/_article/-char/ja/

この可溶性CD30および酵素の活性については、友人の研究者に今も仕事を引き継いでもらい研究を続けております。
http://resweb2.jhk.adm.fukuoka-u.ac.jp/FukuokaUnivHtml/info/5933/R114J_189622.html
http://resweb2.jhk.adm.fukuoka-u.ac.jp/FukuokaUnivHtml/info/4915/R114J_177095.html

 

 

 

 

経験と理論に基づく治療

 

これまで何度も述べましたように成人T細胞白血病とB細胞リンパ腫(多発性骨髄種)には共通点があり、熊本医療センターでは胃の病変をもつ患者の治療にも取り組みました。

一般的に胃の悪性リンパ腫はB細胞によるものです。

それが成人T細胞性白血病の病変となると、治療方法によってはその後の人生が大きく変わってしまいます。

しかし、それが初発部位と考えられれば、手術による切除も治療選択の1つです。

可溶性CD30の血中濃度が上昇する前に、すなわち血液中や他の臓器に白血病細胞が広がる前に、白血病細胞が増殖を始めている環境を取り除くのです。

もちろん化学療法を併用しますが。

この治療法で成人T細胞白血病を克服した患者はお元気で、毎年お便りをいただいております。

 

 

 

 

腫瘍選択的に作用する新しい治療法の開発

 

その他新しい治療法として、成人T細胞白血病細胞に対するモノクローナル抗体療法の臨床研究にも参加しました(文献8)。

この抗体は白血病細胞だけに選択的に結合するため副作用が少ないと考えられていました。
https://www.researchgate.net/profile/Shigeki_Takemoto2/publication/273153609_Dose-intensified_chemotherapy_alone_or_in_combination_with_mogamulizumab_in_newly_diagnosed_aggressive_adult_T-cell_leukaemia-lymphoma_A_randomized_phase_II_study/links/571e9f5708aefa648899a40d/Dose-intensified-chemotherapy-alone-or-in-combination-with-mogamulizumab-in-newly-diagnosed-aggressive-adult-T-cell-leukaemia-lymphoma-A-randomized-phase-II-study.pdf?origin=publication_detail

私は日本の研究者を代表して、その成果を国際学会で発表する機会にも恵まれました。
「mogamulizumabとmLSG15療法の併用は高悪性度CCR4陽性ATLの初期治療として有望【ICML2013】」(日経メディカル 2013年6月25日)

(https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/gakkai/sp/icml2013/201306/531260.html)

 

 

 

 

 

ウコンによる抗腫瘍効果

 

また偶然の出会いがありました。

休暇をとっている先輩の代わりに外来で診察した患者が、成人T細胞白血病と診断された後自然に血液中の白血病細胞が消失しているのを見て、患者本人が自宅で栽培している2種類のウコンを摂取したことを知りました。

更に偶然は重なり、私の両親が入所した介護施設の担当者がこの患者の娘さんだったので、この方の自宅を訪ねて実際に栽培しているところ、収穫、処理の仕方などを見学させていただきました。

その粉末はまさに、Aggarwal博士が高知の私の研究室に送ってくれた黄色い粉でした。

 

 

 

 

 

第4章 最後に

 

井の中の蛙

 

冒頭で述べましたように、今から40年以上も前に、日本国内で九州を外から眺めて発見された白血病でした。

九州内で一所懸命にこの白血病と闘っていた医師たちには見えなかったのです。

そして今まで、多くの医師や研究者たちが、日本に固有の白血病の特徴を明らかにし、治療方法を開発しようと、一所懸命に白血病細胞の研究をおこなってきました。

T細胞、白血病細胞を調べて発がんのメカニズムや有効な治療方法を明らかにしようとする努力が今も続いています。

確かに成人T細胞白血病は成熟したT細胞の腫瘍です。

しかしそれだけで説明がつかないようであれば、患者体内の腫瘍細胞以外の細胞や白血病ウイルス以外の感染ウイルス(寄生虫では糞線虫が知られています)とその感染細胞の変化やはたらきに目を向けてみてはいかがでしょうか。

前述してきたように、B細胞腫瘍(多発性骨髄腫)との類似点をみてきました。

このようにT細胞という固定観念にとらわれることなく、いろいろな他の角度から成人T細胞白血病をみるようにしたいものです(文献9)。
https://pdfs.semanticscholar.org/6c21/02bb886be1f0544327edb217857dbcb0a517.pdf?_ga=2.220214488.1352962720.1558236333-615520450.1558236333

 

 

 

 

外の世界から眺めてみると

 

この白血病ウイルスの世界分布を見ると、なぜ東南アジアなどにはないのかという疑問を抱きますが、誰もその答えを知りません。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/naika/106/7/106_1370/_pdf

井の中の蛙という状態からではなく、その周りの白血病ウイルスのない地域や人々を調べることで、成人T細胞白血病の予防法や治療法が見つかるかもしれません。

家内の実家ではタイの家庭料理をいただきますので、普通にクルクミンやターメリックの入ったカレー、ウコンなどのハーブを直接口にします。

そうです、彼らは知らず知らず、生活の中で白血病ウイルスの予防と治療を行っている可能性があるのです。

 

 

参考文献
1.

 

2.

 

3.

 

4.

 

5.

 

6.

 

7.

 

8.

 

9.

 

 

Author:

武本 重毅

聚楽内科クリニックの院長、医学博士。