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院長日記

ドラッカー著「断絶の時代」から②:経済学の無効

武本 重毅

カテゴリー: 

GDPや貨幣に代わる持続可能な国民福祉を指標にする

新しい経済学とされるニューエコノミクス

もう半世紀以上前から経済学の主流となっているようです。

ニューエコノミクスでは

健康な子供がどんな医者でも育っていくように

健康な経済はいかなる経済学でも発展していくといいます。

しかし、ニューエコノミクスのなるものの容器のそれぞれが

全く別のものを中身として入れています。

現実の経済政策に似たところがあっても

その基礎としている理論は互いに全く異なり

しかも互いに全く相容れません。

ある国の万能薬がその隣国では劇薬とされています。

今日の経済学は、はるかに多くの知識と道具をもっています。

情報と分析方法が非常な進歩を見せました。

先進国の経済学は、先輩たちが想像もできなかった膨大なデータを手にしました。

しかるにそれら膨大なデータは

今日有効な経済政策のための経済学が

存在していないことを日々明らかにしているだけなのです。

現実の経済においては

安定した均衡は不可能であることが明らかです。

完全雇用を実現できるものは動的な不均衡です。

経済とは自転車です。

走っている時のみ均衡を保ちます

経済発展不安定をもたらします。

だが経済発展のみが真の均衡をもたらします。

繰り返しになりますが

経済発展を通じてでなければ経済の均衡は不可能です。

固定された経済はいかに活発であろうとも衰退する経済です。

我々は、経済政策の目的は

資源の配分ではなく、富を生み出す能力の変化であるとの前提からスタートする

経済学を必要とします。

すなわちイノベーションを当然のこととしてスタートする経済学です。

経済学の焦点を

これまでのようなコストからリスクに移さなければなりません。

利益の性格、役割、機能を変えなければなりません。

ここで経済発展を当然のこととするならば

不確実性を当然のこととしなければなりません。

すなわち、今日の資源を未知の明日をもたらすために投ずるのですから

リスクは当然のことです。

こうして経済政策の目的は

より大きな、しかしより良いリスクを負い得るようにすることでなければならなくなります。

したがって、経済発展の経済学においては

利益とは不確実性のコストです。

余剰ではありません。

実に利益なるものは存在しないということが公理となります。

これまで利益とされてきたものは

実は明日のためのコストに過ぎません。

それは、確定はしていないものの

昨日のコストと同じように具体的かつ確実な現実のものです。

昨日のコストを賄えるかを問題にするように

明日のコストについても、それを賄えるかを問題にしなければなりません。

したがって最大の問題は

リスクに見合うだけのものがあるかどうかです。

このことは資本蓄積と消費のいずれを重視しようが関係ありません。

そのための利益は

今日の生産活動によってのみ得られます。

我々がその成果を手にできるものは、今日の生産活動によってのみです。

今日の生産活動だけが現実であって

他のものは全て記憶か期待に過ぎません。

我々は利益を正しいリスクにかけなければなりません。

昨日守るためでなく明日を作るために使わなければなりません。

経済予測があれほどまでに狂うのは

技術変化のせいです。

地震、疫病、戦争と異なり

技術変化は経済的な事象です。

そもそもそれらの目的が経済です。

経済変化は

経済資源の使い方の変化

配分の変化となって現れます。

目的や意義は経済にあります。

技術変化は土地、労働力、資金の生産性を規定します。

 

これからの波乱に満ちた5年、10年を生き残るために

わたしたちの人生は経済とともにあります。

Author:

武本 重毅

聚楽内科クリニックの院長、医学博士。