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院長日記

ドラッカー著「断絶の時代」から③:知識という経済資源

武本 重毅

今や世界中の情報を

手元のスマートフォンで簡単に手に入れることが当たり前の時代になりました。

その情報を活かすことで知識となります。

 

経済学は

知識が生産性を高めるとの公理の上に再構築する必要があります。

成長と変化を理解し説明しなければならなくなるほど

生産性の向上に関わる理論を確立しなければならなくなっています。

生産性を向上させるものは

労働でないことはもちろん資金でさえありません。

それは知識です。

資金のほうは知識によってもたらされる投資機会へと流れていくだけです。

生産性の向上をもたらした新産業や新技術は

知識に基盤を置いていました。

しかもそれらの知識は、科学技術に限られてはいませんでした。

同時にそれらの知識が、コストと投資の主たる項目となりました。

主たる資源となりました。

知識とは特異な経済資源です。

知識を受け入れる側は知識ストックが増大します。

しかし提供側の知識ストックは減少しません。

知識を渡して支払いを受けます。しかし知識はなくなりません。

むしろ知識はより豊かとなり、生産性を向上させます。

そのようなことは他の資源ではあり得ません。

渡すことによって双方の持ち分が増加するという資源は他にはありません。

しかも財やサービスの貿易が

この知識の移入の度合いに従って伸びます。

その上知識の移入は同じ知識水準の国、すなわち同じ発展段階の国との間の方が容易に行われます。

貿易は、資金の自由な移動と知識の自由な移動がさらに重要となります。

今日貿易の中心は、競争的貿易

すなわちコストが知識の生産活動への適用によって規定される製品の貿易です。

今日必要とされているものは

グローバル経済からスタートし

そのグローバル経済の一部としての国内経済を理解する経済学です。

われわれは、マクロ経済ミクロ経済の矛盾の意味を知るための知識を持っていません。

手にするものは常に後知恵だけです。

害が出る前にできることは、理論や分析抜きの、経験による意見を言うこと位しかありません。

そしてこれまでのことから導かれる結論として

少なくともミクロ経済

マクロ経済に対し常に異なる反応を示し

マクロ経済政策の結果を常に異なるものにするということです。

したがって、分子は単なる原子ではなく

生きた有機体として捉えるべきです。

それは、外部の力への反応にとどまることなく

自らの行動を自ら決定することができます。

すでに経験は

マクロ経済はいちど経済になる有機体の行動に制約を加える事はあっても

コントロールすることはできないことを明らかにしています。

我々はグローバル経済のモデルを手にし

そのグローバル経済マクロ経済の関係を理解しなければなりません。

同時に、ミクロ経済の行動

すなわち経済活動の主体としての有機体の行動に関わる異論を手に入れなければなりません。

なぜならば経済的な成果

すなわち財とサービス、雇用と所得を生み出すものは

つまるところミクロ経済だからです。

できるものならば、これらのこと全てを1つの理論に統合するべきです。

われわれはグローバル経済マクロ経済ミクロ経済を1つの経済学にまとめる必要があります。

もちろんそれらのすべてに、共通のコンセプト

例えば生産性要因としての知識のコンセプトが貫かれていなければなりません。

 

この半世紀以上も前に示された道標は

この21世紀においても変わりないようです。

Author:

武本 重毅

聚楽内科クリニックの院長、医学博士。