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院長日記

ドラッカー著「断絶の時代」から⑥:知識経済への移行

武本 重毅

われわれの21世紀の経済は、財の経済から知識の経済へと移行しました。

今や知識が中心的な生産要素になりました。

経済学は依然として知識産業を第三次産業のサービス業として捉えます。

しかし実際には

知識産業は、生産活動に必須の生産要素を提供する産業として

まさに一次産業なのです。

この1,2世紀前には農業が経済の背骨だったものが

今日の先進国では知識が中心的なコストとなり、投資先となり、生産物となり、生計の資となりました。

今日の多元社会が必要としない学問はほとんどありません。

つまるところ企業、政府、軍、病院、国際機関にお呼びでない知識は今日では稀です。

知識経済にはいくつかの特質があります。

知識労働労働の消滅をもたらしはしません。

知識労働者はどこでも長時間働きます。

知識労働は生産的な労働の常として自らに対する需要を自ら生み出します。

その需要は止めどがありません。

知識経済化によって技能がなくなることはありません。

逆に知識技能の基盤となります。

高度の技能を身に付けるには知識が必要です。

しかも技能を伴わない知識生産的たりえません。

知識技能の基盤として使われて初めて生産的となります。

知識つまり体系的な情報とコンセプトが徒弟制を陳腐化します。

知識は体系的な学習を経験にとって代らせます。

知識の基盤のもとに技能を学ぶ者は

いかに学ぶかを学びます。

新しい技能を容易に習得できるようになります。

知識基盤とすることによって

学んだことをして新しいことを学ぶことができるようになります。

すなわち、知識技能道具を使いこなすテクノロジストとなります。

本に書かれているというだけでは、単なるデータではないにしろ情報に過ぎません。

情報は、何かを行うために使われて初めて知識となります。

知識とは、電気や通貨に似て、機能するときに初めて存在するという一種のエネルギーです。

知識人にとっての知識は何か新しいものを意味します。

これに対し知識経済知識

新しさや古さに関係なく

ニュートン力学の宇宙開発への適用のように、実際に適用できるか否かに意味があります。

重要なことは新しさや精緻さではなく、それを使う者の創造力技能にあります。

知識

仕事や技能を失くしはしませんでしたが

仕事の生産性と働く者の人生を大きく変えました。

知識

職業の定められた社会を、職業を選べる社会に変えました。

今や、いかなる種類の仕事につき、いかなる種類の知識を使っても

かなり豊かな生活を送ることができるようになりました。

知識にとっての機会は主として組織にあります。

知識労働の重要性が今日の大組織を生みましたが

逆にそれらの組織すなわち企業、政府機関、大学、研究所、病院の出現が、知識労働者のための仕事の場を生みました。

知識労働者

組織があって初めて所得と機会を得られることや

組織が巨額の投資をして初めて自分の仕事もあり得ることを認識しています。

と同時に、組織が自分に依存していることも認識しています。

今日、この自らを独立した専門職業とする自負と、格や所得ははるかに上回るものの

ある意味では昨日の熟練労働者の後継者に過ぎないという現実の間に葛藤が生じています。

彼らは知識人たろうとします。

しかし実際にはスタッフに過ぎません。

しかもあらゆる組織がそのようなものであるから逃げ道もありません。

彼らのほとんどが、問題は、退屈な仕事と自由との選択ではないことを知りません。

この知識労働者としての自負と現実との格差は今後さらに大きくなります。

その結果、知識社会においては

知識労働者をいかにマネジメントするかが最大の問題となります。

知識労働者に生産性を上げさせるとともに

仕事の満足感を与え

かつ成果をあげさせるとともに位置づけを与えるべくマネジメントしなければなりません。

挑戦のし甲斐があり、成果をあげられる大きな仕事を与えなければなりません。

しかし知識労働者のマネジメントをいかにうまく行おうとも

社会における彼らの位置と役割は

特にIT(人工知能)の応用が進む今の時代において

政治的にも社会的にも中心的な問題となっています。

Author:

武本 重毅

聚楽内科クリニックの院長、医学博士。