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院長日記

人生の極意は「輗軏(げいげつ」一つを手に入れることにある 論語【為政篇】

武本 重毅

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子曰く、人にして信(しん)なきは、その可なるを知らざるなり。大車(だいしゃ)輗(げい)なく、小車(しょうしゃ)軏(げつ)なければ、それ何を以てかこれを行(や)らんや。

牛車には輗(げい)、馬車には軏(げつ)という牛馬に連結する器具があり、牛馬を御す役をする。もし輗(げい)や軏(げつ)がなかったならば、どれほど立派な牛馬でも、車を走らせることができず無用の長物となる。

「信」は人において、ちょうどこの輗軏のようなもので、もし人に「信」がなかったならば、いかに才智があっても、いかに技倆(ぎりょう)があっても、輗軏のない牛馬車と同じで、無益な人どころか有害な存在となる。「信」は人の行動にとって扇の要(かなめ)のようなものである。「信」がなければ、いかなる職位にある人も、いかなる事業に就く人も、世に立っていけないであろう。

(渋沢栄一「論語」の読み方、竹内均編・解説)

昨夜は、まず10年来の友人がつくる天ぷらを味わいながら最近のデパートや新町あたりの変化について意見を交換し、次に新町の料亭で医師の先生方と懇談し、その後は8年来の友人たちに合流して飲み屋を3軒はしごした。新しい友人との出会いがあり、しかし残念ながら別れもあった。お互いに「信」を持ち寄ることで、人と人はつながり、それは強固な関係となる。しかし片方の「信」がなくなれば、その関係はもう意味をなさない。

Author:

武本 重毅

聚楽内科クリニックの院長、医学博士。