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院長日記

子曰く、その鬼(き)にあらずしてこれを祭(まつ)るは、諂(へつら)うなり。義(ぎ)を見て為(な)さざるは、勇(ゆう)なきなり。 論語【為政篇】

武本 重毅

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孔子、孟子の “きわめつけの人生王道”
 祭るべきでないものを祭るのは、鬼神にへつらって自分の利益を得ようとするものである。またこうすることが正しい人の道だと知りながら、自分の利益を考えて、これを行わないのは勇気のない人間である。
 中国の宋末の文天祥(ぶんてんしょう)という人は忠誠無二の人であったが、勇気の乏しい点は、渋沢氏の敬服するところではなかったところである。ところが福岡の安川敬一郎の創設した明治専門学校を参観したとき、同校に文天祥の書いた額が掲げてあった。渋沢氏がやや不賛成の感想をもらしたところ、安川氏は次の話をした。
 文天祥の死後に遺骸をあらためて見ると、下帯に賛が書いてあった。
「孔子は仁を説き孟子は義を説いたが、人もし義を尽くせばおのずからにして仁に達することができる。仁義はけっして二つ別個のものではない。同体である。聖賢の書を読んで学ぶところもつまりこれ以外のものではないから、義を尽くして世に立ちさえすれば仁をも達成し、世間の人々から笑われるような愧(はじ)をかかずにすむ」
これを「文天祥衣帯賛(いたいのさん)」という。
(渋沢栄一「論語」の読み方、竹内均編・解説)

私は私として、与えられた人生を思いっきり楽しもう!

Author:

武本 重毅

聚楽内科クリニックの院長、医学博士。