実践 行動経済学(リチャード・セイラー+キャス・サンスティーン著/遠藤真美訳)
原著タイトル:Nudge(注意や合図のために人の横腹を特にひじでやさしく押したり、軽く突いたりすること)
選択アーキテクト(設計者)
有権者がどの候補者に投票するかを選ぶ際に使う投票用紙をデザインする人
患者が利用できる治療方法の選択肢を提示しなければならない医師
新しい社員が会社の医療制度に加入する際に記入する書類をつくる人
自分の子どもに考えられる教育の選択肢を示す親
セールス担当者
優秀な設計者なら知っているように
トイレをどこにつくるかという、これといった根拠がなさそうな意思決定が、
校舎を使う人々がどのように相互交流するかに微妙な影響を与えます。
トイレに行くたびに同僚に偶然出会う機会が生まれるからです。
なんでもなさそうな小さな要素が
人々の行動に大きなインパクトを与えることがあります。
そのため、「あらゆることが重要な意味をもつ」という想定をおくことが優れた経験則になります。
「あらゆることが重要な意味をもつ」という洞察は、
機能を麻痺させるものにも、
力を与えるものにもなります。
体に良い食べ物の消費量を増やし、
体に悪い食べ物の消費量を減らせる
「選択アーキテクト」は、
食品の選択肢を並べる特定の順序を選ばなければなりません。
それをどう選択するかによって、
人がなにを食べるかに影響を与えることができるからです。
すなわち「ナッジ(Nudge)」できるわけです。
民間部門や公的部門の「選択アーキテクト」は、
人々をより良い生活が送れる方向に進ませるように自覚的に取り組んでいます。
すなわち「ナッジ」しています。
われわれの言う「ナッジ」は、
選択を禁じることも、経済的なインセンティブを大きく変えることもなく、
人々の行動を予測可能な形で変える「選択アーキテクチャー」のあらゆる要素を意味します。
純粋な「ナッジ」とみなすには、
介入を低コストで容易に避けなければいけません。
「ナッジ」は命令ではありません。
われわれ「ヒューマン」と完璧な経済人「エコノ」
「私たちの誰もが間違うことなく適切に考えて選択しており、
経済学者が示す教科書的な人間モデルに合致する」という仮定の
「ホモ・エコノミクス」(エコノ)に対して、
現実の人間は電卓がなければ長い割り算に悪戦苦闘するし、
配偶者の誕生日を忘れることもあるし、
二日酔いで新年を迎えたりもする
「ホモ・サピエンス」(ヒューマン)です。
選択の科学において、
エコノとみなされるには
バイアスのない予測をすることが必要です。
エコノと違ってヒューマンは誤りを犯します。
たとえば「計画錯誤」といい、
計画を実行するのに必要な時間を過度に楽観的に見積もってしまいます。
また、「現状維持バイアス」(「惰性」のしゃれた言い方)と呼ばれる傾向もみられます。
人はいくつもの理由から
現状維持や
デフォルト(選択者がなにもしなかったら選ぶことになる初期設定)
の選択肢に従う強い傾向を示します。
誤った前提と誤解
誤った前提:「ほとんどすべての人が、ほとんどすべての場合に、自分たちの最大の利益になる選択をしているか、最低でも第三者がするより良い選択ができる」
誤解:「人々の選択に影響を与えないようにすることは可能である」
選択の自由を尊重すると強く主張することで、
不適切な設計や、さらには不正が横行するような設計が行われるリスクを
減らすことができるでしょう。
選択の自由は、
ずさんな「選択アーキテクチャー」が構築されるのを防ぐ最高の安全装置になります。
「選択アーキテクト」は、
利用者に優しい環境を設計することによって、
人々の生活を目覚しく向上させることができます。
人間のもつ思考の種類を
「直感的で自動的な思考(自動システム)」
と
「熟慮的で合理的な思考(熟慮システム)」
の二つに区別します。
人は「自動システム」を使って母国語を話し、
母国語以外の言語は「熟慮システム」を使ってなんとか話す傾向がありますが、
真のバイリンガルでは
二つの言語は「自動システム」を使って話されることを意味します。
また熟練のチェスプレーヤーやプロのアスリートは
究極の直観を働かせており、
「自動システム」を使って複雑な状況を瞬時に判断し、
驚異的な精度と並外れたスピードで反応しています。
私たちは
「自動システム」に頼り過ぎるため、
しばしば間違いますが、
数えきれないほどの時間をかけて練習すると、
熟考するのを避けて、
「自動システム」に頼れるようになります。
人が「自動システム」に依存しても悲惨なことにならないのなら、
人生はもっと快適になり、
もっと良くなり、
人々はもっと長生きするようになるはずです。