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院長日記

ドラッカー著「断絶の時代」から⑧:教育革命の必然・学校教育とは

武本 重毅

ポスト・コロナ、世界紛争、そして世界的な経済危機が迫り来る中

日本では少子高齢化が進み

待ったなしの状況です。

このような中では、子供たちだけでなく

私たち自身が未来に備えて

学びなおす必要があるのではないでしょうか。

 

教育は

機会と昇進にとって

出自、財産、才能よりも重要となりました。

最も重要な価値となりました。

教育は

教育者に任せておくにはあまりに重要なのです。

今日教育が歩んでいる道は

かつて誰かが通った恐るべき道です。

それは最も創造的で最も刺激に満ちた中国文明が

14世紀から15世紀にかけてたどったおそらくの道なのです。

それまでの中国は

芸術、科学、医学、数学、技術、政治において世界の最先端にありました。

しかるに元の侵入後花開いた自由な思想と創造的な芸術への反動として

突然書物と模倣からなる儒教の一般教養が社会に押しつけられました。

その結果1世紀後には中国は不毛の国となり

新しいことを行うこと、想像すること、感じることができなくなりました。

今日われわれは同じ道を歩んでいます。

若者の中でも

最も有能な者

知的な資質に最も恵まれた者

最も聡明な者に

知識に裏付けられた技能を使う

テクノロジストとしての能力を持ってもらいたいものです。

同じように重要な問題が

知覚と感性の訓練です。

これらは、教育の目的をどう捉えようとも必要とされるものです。

訓練された知覚規律ある感性

人格の形成に必要なだけでなく

生計の資を得るためにも欠かせません。

子供も人です。

しかるに、人格の形成に特に必要なものが

知覚と感性、特に手触りを通じての知覚です。

しかも知覚と感性

本人の能力、性向、得手不得手とは関わりのない客観的な基準のもとに

自ら何かを行うことによってのみを教えられ、伸ばされ、しつけられます。

確かに多様な能力を持たせることが必要です。

しかしもはや、12歳、15歳、18歳の生徒について

何と何を教え込んでしまわなければならないなどと考えてはなりません。

その後何年も学校に行くものと考えるべきです。

学ばなければならない重要な事は

特定の科目ではありません。

いかにして学ぶかということです。

個々のスキルではなく、普遍的な能力を身に付けること

すなわちスキルを手にし、成果を上げ

何事かを達成するための基盤としての知識を体系的に習得し、それを適用することです。

もはや、誰かをあてにする事は許されません。

あらゆる者が成人に達するまで学校に行くようになったからには

学校は

人が人となる上で必要なこと、および

意味があることを行う上で必要なことを学ぶ所とならなければなりません。

Author:

武本 重毅

聚楽内科クリニックの院長、医学博士。