ドラッカー著「断絶の時代」から11:問われる知識
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知識の世界は流動しており
止むことはありません。
ですから、その流れに乗り続けるためには
あらゆる組織が昨日を削ぎ落とさなければなりません。
知識は自らを最終目的とするものから
何らかの成果をもたらすための手段へと移行しました。
こうしてこれまで知識とされたものが
単なる情報に過ぎないことになってしまいました。
今やかつて技術とされていたものこそが知識なのです。
つまり現代社会の行動原理としての知識は
仕事に使われて初めて意味を持つことになります。
このようにして知識が現代社会の中心的な資源になりました。
われわれは
研究がもたらすものは、知識そのものではなく情報に過ぎないことを知る必要があります。
したがって、その情報を成果に結びつけることを知らなければなりません。
情報は成果に結びついた時初めて知識となります。
知識の意味と役割の変化が
社会の基盤としての知識に関して、いくつかの基本的な問題を提起します。
たとえば頭脳流出は危険な病の兆候です。
高度な知識を持つごくわずかの者が出て行くようになっただけでも
これは憂慮すべき事態です。
お金のために出ていくわけではありません。
知的環境の劣悪さ
知識への無関心
社会への影響力のなさ
に不満だから出ていくのです。
技術格差が生じたのは
それらの研究成果を製品化しマーケティングすることに失敗したためです。
技術格差とはマネジメント上の失敗です。
お金をつけることができます。
しかし科学上の成果を経済的な事業に転換する能力
すなわちマネジメントとマーケティングの能力はお金では買えません。
現代社会は
自らの知識の基盤として
理系の者だけでなく文系の者を必要とします。
特に理系を理解する文系のものを必要とします。
専門分野や方法論の虜になることなく
知識を仕事に適用できる者を必要とします。
新しい知識を生み出す者だけでなく
新しい知識を日常の活動に適用する者を必要とします。
傑出した仕事をする者を事前に知る方法はありません。
実際に仕事をさせるしかありません。
逆に最も頼りにならない方法が学校の成績です。
歴史上には
学校の成績は悪かったが
知的な偉業を成し遂げた偉大な人たちが大勢います。
知的な能力も他の能力と同じように分布します。
確率的に分布しています。
したがってより多くの人間に知識を習得する機会を与えるならば
それだけ多くの知的なリーダーを得ることができます。
最後に
20年後にリーダーとなる者を
ただ一度の試験で知ることなどできはしません。
そもそも20年後に必要となるものが何であるかを
知らないし
知ることができないからです。