Director's blog
院長日記

今朝ご高齢の女性を家族の皆様と一緒に看取りました。

武本 重毅

今回は、そのご家族の心情を考える上で参考になるところを、先日ご紹介した本「選択の科学」から引用してみましょう。

選択の科学(シーナ・アイエンガー、櫻井祐子訳)

 

わが子の生死を選択する

 あなたに、ジュリーという、早産で生まれた女の赤ちゃんがいるとします。ジュリーは妊娠27週目に、体重わずか900gで生まれ、脳内出血を起こして危篤状態にあります。現在、著名な大学病院の新生児集中治療室(NICU)で治療を受けており、人工呼吸で生命を維持しています。治療を始めてから3週間が経過しましたが、ジュリーの状態に改善はみられません。

シナリオ①
 あなたは医師に、このまま危篤状態が続けば、ジュリーは深刻な神経障害を残し、命を取り留めたとしても生涯寝たきりで、喋ることも歩くことも、意思疎通もできないだろうと宣告されました。医師団は熟慮の上、延命治療を中止すること、つまり人工呼吸器を取り外して死なせてあげることが、ジュリーにとって最良の選択だと判断しました。

シナリオ②
 あなたは医師から、この事態を踏まえて考えられる二つの方針について、説明を受けました。延命治療を続けるか、人工呼吸器を取り外して治療を中止するかということです。医師は、それぞれの方針がもたらす結果を、次のように説明しました。治療を中止すれば、ジュリーは亡くなります。治療を続けた場合、ジュリーが死亡する確率は40%で、生存の確率は60%だが、命を取り留めたとしても生涯寝たきりで、喋ることも歩くことも、意思疎通もできません。医師団はジュリーの深刻な状態を熟慮した上で、延命治療を中止して死なせてあげることが、ジュリーにとって最良の選択だと判断しました。

シナリオ③
 今回医師たちは、あなたに選択を委ねました。延命治療を続けるか、人工呼吸器を取り外して治療を中止するかについて。医師は、それぞれの方針がもたらす結果を、次のように説明しました。治療を中止すれば、ジュリーは亡くなります。治療を続けた場合、ジュリーが死亡する確率は40%で、生存の確率は60%だが、命を取り留めたとしても生涯寝たきりで、喋ることも歩くことも、意思疎通もできません。

 

 それでは、それぞれのシナリオについて、説明を加えていきましょう。

 まずシナリオ①は、「医学の父」とよばれている古代ギリシャの意志ヒポクラテスが提唱した医療父権主義(パターナリズム)という考え方に基づくものです。このように、かつては、医者が患者になり代わって判断を下し、何の説明も与えていませんでした。

 

 シナリオ②では、医師団から、考えられる方針と、それぞれの方針がもたらす結果に関する説明がなされました。このことで、これが最良の判断だったという確信が高まり、判断に伴う精神的ストレスが軽減された結果、決定を受け入れやすくなったのではないでしょうか。今ではあたりまえのように思われますが、医療従事者が、患者が自分の健康状態を正確に把握することが、患者自身と家族のためになるという認識をもつようになったのは、20世紀に入ってからのことでした。
 治療や処置が論理的で科学的根拠に基づいているのなら、患者に説明できない理由、説明すべきでない理由はないはずです。そして、「インフォームド・コンセント」の原則が確立された結果、医師には次の二つを義務づけられるようになりました。

(1) 患者に治療方法の選択肢を提示し、それぞれの選択肢の効果とリスクについて説明すること、

(2) 治療をする前に、患者の同意を得ること。

 

 しかしこのとき、もう一つの大きな変化の兆しが現われ始めていました。

 それを、シナリオ③にみることができます。今回、選択はあなたの手に委ねられました。医師はあなたに必要な情報を提示し、その上意思決定までも任せました。あなたは多くの選択肢を取捨選択する必要はなく、ただ二つの中から選んで最終決定を下しました。実は、現実世界でも、同じような状況に置かれた人たちが、このシナリオのような決断を迫られることがますます多くなっています。

 最近では「医者は何でも知っている」という言葉は聞かれなくなり、重要な医療方針の決定では、患者や家族の判断が最優先されるようになっています。もしかしたら、これが医療の本来あるべき姿なのかもしれません。

 ところが…

延命治療を続けるか、中止するかの選択を委ねられた人たちのほとんどが、幸せでも、健やかでもなく、そのことを感謝していなかったのです。現実にこの決定を下す親たちは、医師に重大な決定を任せる親たちよりも、苦しんでいました。

 

 

選択は痛みをともなう

 シナリオ③の「情報のある選択者」は、シナリオ①の「情報のない非選択者」と同じくらいの、そしてシナリオ②の「情報のある非選択者」よりも強い否定的感情をもつことになりました。

この結果から、たとえ最終判断を下すのが医師であっても、患者側に治療の選択肢を提示することで、状況のもたらす悪影響を和らげることが明らかになりました。

そして…

その否定的感情の大きさを決定する要因は、治療の中止または継続という実際の決定に対する確信の強さではなく、むしろこの状況をもたらしたのが自分であるという認識、子どもの死や苦しみを直接もたらした原因が自分にあるという認識にあるように思われました。

 

そこで、シナリオ②とシナリオ③に、医師のコメントとして、次の一文を加えたシナリオを読み直してもらいました。

「われわれの意見では、治療を中止するしか方法はありません」

医師が治療中止を単なる選択肢の一つとしてでなく、医学的に望ましい選択肢として提示したとき、大きな変化がありました。

シナリオ③の「情報のある選択者」とシナリオ②の「情報のある非選択者」との間の否定的感情に、違いがみられなくなったのです。

 

このことは重大な意味をもっています。

第一に、医師が望ましい選択肢をはっきりと示すことで、困難な決定を担う人たちの負担を軽減できる可能性がある。

第二に、難しい選択の全責任または主要な責任を担わされる人たちの心や良心にのしかかる重圧がどれほど大きいものなのか。

Author:

武本 重毅

聚楽内科クリニックの院長、医学博士。